金地院庭園 こんちいんていえん
庭の概要
所在地 | 左京区南禅寺福地町 |
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電話 | 075-771-3511 |
作庭年代 | 江戸前期 |
作庭者 | 小堀遠州、賢庭 |
様式 | 枯山水 |
寺社の創建年代 | |
文化財指定・登録状況 | 特別名勝(1954) |
敷地面積 | 約3,900㎡ |
公開状況 | 公開(400 円) |
歴史・いわれ
金地院(南禅寺塔頭【たっちゅう】)は、1400年頃に鷹峯【たかがみね】に開創された禅寺でしたが、南禅寺の再興に力を尽くした名僧・以心崇伝【いしんすうでん】 が1605(慶長10)年に復興・再建し、現在に至ります。崇伝は作事奉行【さくじぶぎょう】として名高い小堀遠州【こぼりえんしゅう】らの協力を得て方丈や重文の東照宮、庭園などを1632(寛永9)年頃に完成させました。小堀遠州が計画図を書き、現場の指揮や植栽は小堀家家臣・村瀬佐助、また後陽天皇が「天下一の上手也」と讃えた庭師・賢庭【けんてい】が石の据え付けを行ったなどの経緯は、崇伝の「本光国師日記」に記され、貴重な資料となっています。
伏見桃山城の遺構を移設した方丈の前に広がるのが「鶴亀の庭」で、桃山時代の豪快で華やかな風情を感じさせる江戸初期の代表的枯山水庭園です。白砂の大海の対岸には両端に大きな鶴島と亀島、中央奥に蓬莱連山が配されており、一目で見渡すことができないほどの広さです。
右手の鶴島は、首を伸ばして飛び立たんとする姿を動的な石組みで表現しています。巨大な長方形の石を伏せて鶴首石とし、立石を重ねて羽根を、鮮やかなクロマツの緑葉で羽ばたく翼を表し、生き生きとした姿を印象付けています。左手には海に浮かぶ亀の姿をどっしりとした石で組み、鶴島に対比させるように向かい合わせています。ずんぐりした大石で頭や手足を組み、時代を経て白骨化した幹や枝を見せる真柏
【しんぱく】(ミヤマビャクシン)を背負わせ、長寿を生き抜いてきた風格を感じさせています。尾は低く伸びて背後の植栽にとけ込み、この庭に広がりをあたえているようです。
鶴島と亀島の間には、少し小ぶりの石で遠景の蓬莱連山が組まれており、背景の丸く刈り込まれた常緑樹がさらに奥深い印象を与えています。小さな石組ですが、中央の三尊石を中心に力強い名石が重厚に組み合わせられ、仙人が住むという深山幽谷【しんざんゆうこく】の景を創り出しており、徳川家繁栄の願いを込めています。
この庭は左右対称に近い構図を用い、中央には大きな長方形の平石が遥拝【ようはい】石として置かれて、左右のバランスをとると同時
に景の重心としての役割を果たしています。
さらに鶴首石や亀島前の平らな石と共に、高さを違えた水平線を描き出し、まるで狩野派【かのうは】や琳派【りんぱ】の絵画のような雄大な空間構成となっています。白砂の海も水平線を強調するように手前と奥を少し下げ、広く深く見せているようです。「遠州好み」といわれる小堀遠州の大胆なデザイン意図が隠されているのかもしれません。見つめていると、仙人が住むという彼方の国に心を連れて行ってくれるようです。それぞれの部分をしっかり拝見し、色々と想像してみることも楽しみのひとつです。