大橋家庭園(苔涼庭) おおはしけ たいりょうてい
庭の概要
所在地 | 京都市伏見区深草開土町 |
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電話 | 075-641-1346 |
作庭年代 | 近代(大正2年・1913年) |
作庭者 | 本文参照 |
様式 | 露地風 |
寺社の創建年代 | |
文化財指定・登録状況 | 京都市の名勝 |
敷地面積 | 334㎡(文化財指定面積) |
公開状況 | 公開(有料) |
歴史・いわれ
京都で鮮魚の元請を営んでいた大橋仁兵衛(1849~1925)が、伏見稲荷大社の近くに構えた屋敷に作った露地(茶庭)風の庭です。
仁兵衛氏が伏見稲荷大社の北側に土地を求めたのは明治44年(1911年)のことです。当時は付近にはほとんど人家もなく、周りは森に囲まれてうっそうとしていた様子が、大橋家に残る写真からうかがえます。この屋敷は隠居用で、庭が完成したのは大正2年(1913年)と伝えられています。第一線から退いたとはいえ、大正時代の人名録にはしばしば仁兵衛氏の名が出てくるので、店の経営にも関わっていたようですが、大正14年(1925年)頃に亡くなるまで、晩年の十数年を伏見で暮らしたことになります。
庭の名である「苔涼」は漁業の「大漁」に掛けて名付けられました。客間に南面して作られ、中には待合が設けられています。庭の中には様々な形の石灯篭(いしどうろう)や侵食を受けて複雑な形状をした景石などとともに、水琴窟(すいきんくつ)が2つ据えられているのが大きな特徴です。
※水琴窟とは、手水鉢(ちょうずばち)をそなえた蹲踞(つくばい)の下に甕(かめ)を埋めるなどして地中に空洞を作り、そこに上から水を滴らせて、反響音を聞いて楽しむものです。手水の排水を兼ねて作られます。
作庭には、明治から昭和初期にかけて活躍した造園家の「植治」(うえじ)こと7代目小川治兵衛(1860~1933)が関わっていました。仁兵衛氏のひ孫で現所有者の亮一氏によると、植治は姻戚関係にあった大橋家を度々訪れ、助言を与えていたそうです。ただ、「石造品の数が多いから減らした方がいい」という植治のアドバイスがあっても、仁兵衛氏は自分の構想を変えなかったというエピソードも大橋家には伝えられていることから、植治の関与は助言までで、仁兵衛氏の構想を基本として作庭されたと考えられます。
庭園内はモッコクやモチ、カシ類、マツ類など常緑樹が多く、近代の庭園によく見られる落葉樹の多い庭とは異なった雰囲気を持っています。また、灯篭を中心とした石造品の数も多いのが特徴で、100坪ほどの庭にもかかわらず12基も据えられています。しかし、雑然とすることはなく、植栽やほかの景石などとよく調和して独特の景観を作り出しています。
庭内には池や流れがなく、水に関わる施設は水琴窟のみという独特の庭であるため、一般的な庭園様式にはあてはめにくいのですが、あえて言えば、露路風に作った築山式の庭園といえるでしょう。
※露地……茶室に付属した庭。露地庭、茶庭ともいいます。千利休が「露地」の字を茶庭の意に当てました。待合・腰掛け・蹲踞(つくばい)・雪隠(せっちん)などを設けます。
このように苔涼庭は、大正初めの個人邸宅の庭園の中でも、独特の意匠をもつ庭園です。また、2つの水琴窟を備えた庭園としても特筆されるものといえます。
見所・みどりの情報
苔涼庭にある2つの水琴窟にはそれぞれ特徴があります。1つは、周囲より一段低く作られた降り蹲踞(おりつくばい)に設けられ、蹲踞の底には鮮やかな色彩の砂利が敷き詰められており、実用というよりは観賞することを考えて作られたようです。この蹲踞は客間に面して、景石、石灯篭、クロマツの植えられている築山とセットになっており、この庭一番の見所といえます。もう1つの水琴窟は、客間と待合の間の縁先手水鉢(えんさきちょうずばち)に設けられています。この手水鉢は実用が主となっています。
一般に、水琴窟は地中にあるため、砂などが溜まっても除去することができず、早ければ10年程度で音が鳴らなくなるとされます。しかし、この庭の水琴窟は、作庭から90年以上経っているにもかかわらずどちらも“現役”です。水を蹲踞の底に滴らせると、どちらもややかん高い音を響かせますが、2つの水琴窟はさほど離れていないため、水音の微妙な違いを聞き比べることができるのもこの庭の面白いところです。
手入れのポイント
この庭の手入れは戦時中を除き、代々の「植治」によって管理されてきており、年2回、場合によっては年3回の頻度で主な手入れを行っているそうです。冬期は以前は年末に行っていたそうですが、見学者が11月にかなり多いため、10月に前倒ししています。
特徴としては、サツキツツジなどの刈込が非常に低く刈り込まれていることと、京都の庭園では一般に春先に行われるマツの「みどり摘み」をせず、水琴窟の横にある庭の主景ともいうべきクロマツは古い松葉をむしる程度にとどめていることです。比較的小規模な庭に造られた築山や石造品を強調するため、特に刈込を低くする一方、緑のボリューム感を出すために「みどり摘み」を行っていないようです。
※みどり摘み……マツは春の新芽(ミドリ)がよく伸び、形が崩れかねないため、春先、芽の柔らかいうちに手で摘み取って形を整える技法をいいます。
文化財の指定/関連の文化財
大橋家庭園として、昭和63年(1988年)5月、京都市の名勝に登録されています。
引用・参考文献・資料提供
【引用・参考文献】・第2版日本全国商工人名録、1898
・大阪市京都市神戸市名古屋市商工業者資産録、1902
・第15版日本紳士録、1910
・第5版日本全国商工人名録、1914
・京都府紳士名鑑、1917
・京都市の文化財(第6集)、京都市文化財保護課、1989
・植治の庭、尼崎博正、1990、淡交社
・ガーデンライブラリー1水琴窟の話、龍居庭園研究所、1990、建築資料研究社
・京都市文化財ブックス京の名勝-その価値と変遷、京都市文化観光局文化部文化財保護課、1994
・京都地方法務局伏見出張所閉鎖登記簿(土地)
【取材協力および資料提供】
大橋亮一氏
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