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大徳寺・瑞峯院庭園  だいとくじ・ずいほういんていえん

庭の概要

所在地 北区紫野大徳寺町
電話 075-491-1454
作庭年代 1961(昭和36)年
作庭者 重森三玲(独座庭、閑眠庭)
様式 枯山水
寺社の創建年代 1535(天文4)年
文化財指定・登録状況
敷地面積 約3,300㎡(瑞峯院全体)
公開状況 公開

歴史・いわれ

大徳寺・瑞峯院庭園の画像 独座庭を東から見る

 千利休や一休さんで有名な大徳寺の境内には、勅使門から南北に続く荘厳な本坊伽藍の他にも、禅宗建築の美しさを見せる数多くの塔頭【たっちゅう】があります。そのほとんどが拝観できないとはいえ、表門から窺【うかが】うそれぞれの前庭は、様々な模様を描く石畳の路と生垣等の植物で構成された空間が建物の力強い稜線に映え、訪れる人を飽きさせません。


 瑞峯院は常に公開されている塔頭の一つで、戦国大名の大友宗麟【そうりん】が1535(天文)4年に建立したものです。
重々しい表門からは青竹の結界に縁取られた石畳が続き、折れ曲がるたびに次々と変わる景色に導かれて方丈へと誘われます。台杉やススキが造り出すさわやかな景も十分に楽しんでください。

 方丈は創建当時の建物(重要文化財)で、開祖である大満国師四百年遠忌の1961(昭和36)年、重森三玲【みれい】※1 氏によって、南に独座【どくざ】庭、北に閑眠【かんみん】庭、茶室に接した露地庭が作られました。

 独座庭は蓬莱【ほうらい】※2 思想を重森氏独特の立石組で表した庭で、砂紋の荒波を受ける岩礁が見事に表現されています。蓬莱山の石組は力強く、抽象画のように生垣の直線と丸い刈込みの樹木が空間を切り取り、壮大な背景を生み出し迫ってきます。里を表す苔地のムクリが西の彼方へと続き、より大きな景色となっているようです。

 閑眠庭は、正面から見ると白砂と苔地の中に青山を表現した枯山水庭園に見えますが、キリシタン大名であった大友宗麟を偲【しの】び造られたもので、中庭のキリシタン灯籠から続く石組が十字架の形になっています。

 これらの庭を直線の飛び石が繋【つな】ぎ露地庭へと誘いますが、これは戦国大名の心意気を表したものなのか、遊びのない豪胆な気風を感じさせます。 

 表門を出ると、また石畳が続きます。松林と塔頭の間を貫く参道を戦国大名の気分で散策してはいかがですか。

※1 重森三玲(1896~1975)・・・昭和期に活躍した庭園史研究家、作庭家。日本庭園史、茶道、華道の研究を続け、いけばなや作庭の革新を提唱。「日本庭園史図鑑」全28巻、「日本庭園史大系」(共著)全35巻などを著した。

※2 蓬莱・・・蓬莱山とも。中国の神仙思想で説かれる仙人が住む仮想の山で、東方海中にあるとされる。庭園では、いくつかの石を立て松を植える蓬莱島、一石を立てる蓬莱石などの形で表現される。

見所・みどりの情報

大徳寺・瑞峯院庭園の画像 不老不死のエネルギーが湧き出す大地を表すような石組のライン
 庭園の主役は力強い石組や樹木たちですが、白砂の砂紋や苔地、さわやかな風情を見せる草木にも脇役としての重要な役目があります。これを作り出しているのが日々の手入れ。前田昌道住職自らが早朝に砂紋を描かれているそうで、塵ひとつない空間は我々を出迎えてくれる沈黙の作法なのでしょう。大きな景を作り出している生垣は、造園職人が刈り込まずに熟練した技でハサミを入れ、優しい線形を作り出しています。

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