光悦寺庭園 こうえつじていえん
洛北の芸術郷『光悦寺』
庭の概要
所在地 | 北区鷹峯光悦町 |
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電話 | 075-491-1399 |
作庭年代 | 大正 |
作庭者 | |
様式 | |
寺社の創建年代 | |
文化財指定・登録状況 | |
敷地面積 | 約15,000㎡ |
公開状況 | 公開(有料300円)※紅葉時400円 |
歴史・いわれ
洛北の高台へ向かう鷹峯【たかがみね】街道を上りきると光悦寺があります。1615(元和1年)に徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦【ほんあみこうえつ】が草庵を結び、芸術郷『光悦村』を築いたところです。
刀剣鑑定・研磨・浄拭【ぬぐい】のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵【まきえ】などにも優れ、芸術指導者としても活躍、俵屋宗達【たわらやそうたつ】、尾形光琳【おがたこうりん】とともに琳派【りんぱ】の創始者といわれています。
モミジに覆われた石畳を通って境内【けいだい】に入り本堂に続く回廊の下をくぐると、山里を切り開いたような風景が広がっており、園路は樹林を縫って続く山道のようです。
古田織部【ふるたおりべ】や織田有楽斎【おだうらくさい】に教えを受け、千宗旦【せんのそうたん】とも交わった茶人らしく多くの茶席も見え隠れしています。
これらの建物は西に居並ぶ鷹ケ峯三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)を借景に斜面を利用して計画されており、芸術家や職人が庵を営んでいた往時の光悦村の佇まいや、光悦の審美眼まで思い描くことができそうです。
「大虚庵」は1915(大正4)年、光悦終焉【しゅうえん】の地に再建された茶席で、切妻杮葺【きりづまこけらぶ】きの直線的な外観が背後の天ヶ峰を美しく切り取っています。
露地入り口は割竹を束ねた太い柱と枝折戸【しおりど】で閉じられ、そこから始まる光悦垣(臥牛垣【ねうしがき】)と呼ばれる竹垣が内露地を囲んでいます。この竹垣は全長18m、天端【てんば】は牛が伏せたような曲線を描いて植え込みの中に消えていき、その先にそびえる鷹ヶ峰と鷲ヶ峰のシンボリックな姿を取り込んでいます。この場所には縁台も設けられているので、是非この素晴らしい景を、じっくりと鑑賞して下さい。
先へ進むと京都市内を一望できる本阿弥庵と名付けられた茶席があります。吹き上げてくる心地よい風を感じながら眺望を楽しんでください。
『山路を来たりて茶室に至る...』という露地の気構えそのものの光悦寺庭園、街中の社寺とは異なった趣を感じられるはずです。