京の庭を訪ねて:庭園を通じて京都の「緑の文化」に触れてみませんか?

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御香宮神社  ごこうのみやじんじゃ庭園

庭の概要

所在地 京都市伏見区桃山御香宮門前町
電話 075-611-0559
作庭年代 昭和36年(1961年)
作庭者
様式 枯山水
寺社の創建年代
文化財指定・登録状況 表門(国指定重要文化財)、本殿(国指定重要文化財)、拝殿(京都府指定文化財)
敷地面積 約240㎡
公開状況

歴史・いわれ

御香宮神社の画像 直線を強調した近景と、より遠くのびやかに感じさせる対岸の景

 伏見の七名水の一つ「石井の御香水」で有名な御香宮神社はJRや近鉄、京阪の桃山駅に囲まれた国道24号線沿いにあります。伏見城大手門を移設した表門(国指定重要文化財)を入ると境内には、極彩色の本殿(国指定重要文化財)や拝殿(京都府指定文化財)など桃山から江戸時代の見事な装飾や彫刻が施された建造物を見て回ることができ、名前の由来となっている御香水をいただくなど、じっくりと楽しめるところです。そして本殿横、社務所座敷の西側には落ち着いた雰囲気の枯山水庭園が広がっています。

 江戸時代初期、この神社の隣地にできた伏見奉行所に、茶人で作庭家としても有名な小堀遠州が奉行として着任し、素晴らしい庭園を造りました。その出来栄えに感心した三代将軍家光は遠州を大名に取り立てたと伝えられています。時は流れ江戸時代の末期に鳥羽伏見の戦いが起こり、伏見奉行所の幕軍に対して御香宮境内には官軍の薩摩藩が陣取りましたが、歴史の示す通り奉行所は焼け落ちてしまいました。その跡地は明治時代以降、軍の施設への変遷を経て市営住宅桃陵【とうりょう】団地となりましたが、その際に庭石を御香宮に移し、昭和36年、中根金作(※1)氏により作庭されたのが、現在の御香宮神社の庭園です。


 小堀遠州は近江の出で、郷里の風景を取り込んだ斬新なデザインの名庭をたくさん作っています。この庭も湖国の風情が感じられるつくりで、至るところに「遠州らしさ」が感じられるのは、中根氏が庭石を通して遠州の作った奉行所の庭に思いを馳せていたからでしょう。背景は背の高い植栽で視界を遮り、白川砂で表した水面の対岸には築山と枯滝、手前は直線の護岸と真黒【まぐろ】石で畳まれた渡りがカギ型に地を切り裂き、井筒へと延びて視線を誘います。この座敷から眺める庭は水平線を基調としており、直線を強調して近景を大きく感じさせ、伏せた石を主とした奥の築山をより遠く、のびやかな景に見せています。

 書院の間取りは、窓の開け閉めや立ち位置、座位で違う景が楽しめるように作りこまれていて、その技術にも驚かされます。そして南西の角に陣取れば、船で海の中へ漕ぎ出したような感覚を覚えます。昭和の作庭家が桃山文化の数寄者・遠州の心に寄り添った作品を楽しんでください。

 時代を見つめてきた庭石たちが、何かを語ってくれるかもしれません。

 

※1 中根金作 ... [1917~1995]「昭和の小堀遠州」と称えられた日本の造園家、作庭家。足立美術館庭園、城南宮楽水苑など、日本国内と海外で300近い庭園を作庭。

※2 後水尾天皇 ... [1596~1680]第108代天皇。学問・詩歌を好み、洛北に修学院離宮を造営。歌集「鴎巣集」がある。

※3 舟入 ... 池泉庭園において舟を係留しておく所で、それ自身が景(モニュメント)となり、庭の物語性を高めているもの。

見所・みどりの情報

御香宮神社の画像 窓枠で切り取られた対岸の枯滝と島影
 廊下を書院へと進むと松の植えられた島と緑陰に包まれた対岸の築山が迫り、また別の景色を楽しむことができます。島の北側には後水尾【ごみずのお】天皇(※2)が名付けられた「所【ところ】がらの藤」の棚が舟入【ふないり】(※3)の如く設けられ、藤の花が咲く時期には窓から覗くことができるようにしつらえてあります。

京の庭を訪ねて

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2023年冬 109号
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