京の庭を訪ねて:庭園を通じて京都の「緑の文化」に触れてみませんか?

  1. HOME
  2.  > 都市緑化協会TOP
  3.  > 京の庭を訪ねて
  4.  > 山科区  >  池泉  >  近代・現代
  5.  > 毘沙門堂・晩翠園

毘沙門堂・晩翠園  びしゃもんどう・ばんすいえん

庭の概要

所在地 京都市山科区安朱稲荷山町18
電話 075-581-0328
作庭年代 明治
作庭者
様式 池泉式
寺社の創建年代
文化財指定・登録状況
敷地面積 約2,700㎡
公開状況 3~11月は8:30~17:00、12~2月は8:30~16:30 (拝観料500円)

歴史・いわれ

毘沙門堂・晩翠園の画像 宸殿正面から見る。観音堂の左奥に滝があり、池には山腹の木々が映る。

 毘沙門堂は、山科の北、安祥寺【あんしょうじ】山の山腹に位置する寺院で、天台宗五箇室門跡の一つに数えられる古刹です。
天武天皇の勅願により文武天皇の代の703(大宝3)年、現在の上京区内に出雲寺【いづもじ】として創建されたと伝えられます。
平親範【たいらのちかのり】(円智)が鎌倉時代初めの1195(建久6)年、平氏とのゆかりが深い平等寺、尊重寺、護法寺の3寺を1寺にまとめ再興して以降、隆盛を迎えます。
早くから桜の名所にもなっていたようで、藤原定家の日記「明月記」などにも様子が書き残されています。

 室町時代には火災などで多くの堂宇を失い衰退しますが、江戸時代に入った1665(寛文5)年に公海僧正【こうかいそうじょう】が現在の山科の地に復興します。
公海の次の門主は後西院天皇の皇子、公弁法親王【こうべんほっしんのう】で、以後、門主は法親王が務めることとなり、門跡寺院として法脈を保ってきました。
江戸時代の絵図を見ると、現存する本堂や宸殿【しんでん】などの北側に書院に面した大きな池があり、本堂の北東側には弁天堂の周囲をめぐる池などが描かれ、風雅な様子がしのばれます。

 明治時代の廃仏毀釈【はいぶつきしゃく】により大きな池は埋められ、書院は撤去されてしまいますが、その跡地に宸殿に面する庭園が作られました。昭和に入り、池の周囲に観音堂などが建てられ、宸殿の庭園「晩翠園」が完成したと考えられます。

見所・みどりの情報

毘沙門堂・晩翠園の画像 晩翠園の大池から流れが続く小池と弁天堂。ドウダンツツジの鮮やかな紅色が美しい。

 晩翠園は、2つの中島を持つ池が中央に大きく広がり、池の周囲にはモミジ(タカオカエデ)やサルスベリなどの高木、ドウダンツツジやサツキツツジなどの低木が植えられています。
池の北側、観音堂の脇には滝石組が組まれ、安祥寺山の谷から引き込まれた水が音を立てて流れ落ちています。
中島の一方には石塔が建ち、観音堂とともに、庭園を眺める上でのアクセントとなっています。
護岸の石組も大石を立てることはせず、全体として穏やかな造りとなっています。

 モミジとドウダンツツジが多いため、紅葉シーズンが一番の見頃ですが、大きなキリシマツツジやサルスベリも植えられ、春や初夏にも目を楽しませてくれます。

 また、弁天堂をめぐる小池のまわりにもドウダンツツジなどが植えられ、本堂と宸殿の間にある霊殿からの紅葉の眺めは1枚の絵のようで、江戸時代の風情を今に残しています。

 晩翠園は、眺めの素晴らしさだけではなく、宸殿など江戸期から残る建物と、観音堂など新しく建てられた建物の間を自然な形でつなぐ庭園ならではの役割を果たしている名園といえます。

周辺マップ

京の庭を訪ねて

庭園を通じて京都の緑や「緑の文化」に触れてみませんか?

広報誌「京のみどり」

広報誌「京のみどり」2023年冬 109号

2023年冬 109号
放置竹林を資源の循環にもどそう 新たな利用とネットワークで名産地の復活へ掲載中
  • みどりのウォーキングマップ
  • 新しい緑の世界へ、挑戦する人
  • 歴史を語る京の木
  • 緑化の取り組み、緑の応援団
  • らくらく園芸講座
  • 花とみどりの相談所
  • リンク集

ページ上部へ

Copyright (c) KYOTO CITY GREENERY ASSOCIATION
All Rights Reserved.