相国寺 裏方丈庭園、開山塔庭園 しょうこくじ
庭の概要
所在地 | 京都市上京区今出川通 烏丸東入相国寺門前町 |
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電話 | 075-231-0301 |
作庭年代 | 江戸後期 |
作庭者 | |
様式 | 枯山水式 |
寺社の創建年代 | |
文化財指定・登録状況 | 裏方丈庭園は市の名勝 |
敷地面積 | |
公開状況 | 裏方丈庭園は 春・秋にそれぞれ 10週間ほど公開。 開山塔庭園は 通常非公開。 |
歴史・いわれ
相国寺(しょうこくじ)は臨済宗相国寺派大本山で、金閣・銀閣両寺をはじめとして90を数える末寺を擁しています。
永徳2年(1382年)、室町3代将軍足利義満の発願で足利家の菩提寺として創建されました。寺院の中で京都五山の第二位に列せられるとともに、塔頭(たっちゅう)鹿苑院は、塔主が僧録職を兼ねたため「鹿苑僧録」と呼ばれ、文化・政治面にも大きな影響力を持っていました。
応仁・文明の乱(1467~1477年)も含め、幾度かの火災で焼失と再建を繰り返しました。桃山時代から江戸時代にかけて復興をとげましたが、天明8年(1788年)の天明の大火でほとんどが焼失し、文化年間(1804~1818年)に今見る伽藍が復興されました。
方丈も文化4年(1807年)に復興されたもので、裏方丈庭園はその時に作られたものと考えられています。
開山塔は、開山の夢窓国師像を安置し、「龍渕水の庭」と呼ばれる前庭があります。
裏方丈庭園とさほど変わらない時期に作庭されたものと考えられますが、昭和初期に改修を受けています。
見所・みどりの情報
(裏方文庭園)
細長い敷地の中に、大きな掘り込み状の枯流れが左手から右手に雄大に流れて地形を作っており、その後ろにモミジやマツなどが植えられています。
枯流れの斜面にはスギゴケが張られ、流れの底には小石が敷かれています。さらに小石の下には砂が敷かれているので、雨水はすぐに地下にしみ込んでいきます。おそらく枯流れが建物の雨水排水を兼ねるという一風変わった構造になっているものと考えられています。
枯流れの一角には滝石組が組まれています。枯流れがかなり掘り込まれているので、方丈から見ると結構低い位置にあるにもかかわらず、小さいという印象を受けません。この見せ方は庭を作る時に方丈からの眺めを計算したものと考えられます。
水を使わない枯山水風の庭でありながら流れが大きく掘り込んであるという、ほかに見られない様式の庭園ですが、滝石組なども整っており、独特の洗練さが感じられる庭となっています。
春と秋の年2回公開しており、特に秋のモミジは市街地の中にあるとは思えない美しさです。
(開山塔庭園)
開山塔の「龍渕水の庭」はかつて、「今出川通」の由来である旧今出川の一部として水路を引き込んでいました。
現在でも、白砂の平庭の向こう側に、ゆるやかに蛇行した石積護岸の水路が残り、築地塀の下をくぐって庭から外へ出ている様子を知ることができます。
手入れのポイント
相国寺境内は約4万坪と相当広く、見事なクロマツ、アカマツが林をつくっています。
総門から入ってすぐ左手に見えるアカマツ林は、天文20年(1551年)の戦火により焼失した三門と仏殿の跡地にできた林です。アカマツは山地などに生じた裸地に最初に根付いて、他の優勢な樹木にとって代わられることが多い樹木です。この林は市街地においては稀なだけでなく、良好な保全によってスケールの大きい景観を形成しています。
相国寺境内の樹木、庭園の手入れを行っている長岡造園によると、庭園やその周囲の樹木は、自然の樹形に似せるよう心がけて剪定していて、その剪定方法のことを「自然透かし」と呼んでいます。しかし、周囲に建物が建つようになり、遠景も含めた庭園の自然の雰囲気を保つのには苦労されているそうです。
裏方丈庭園の枯流れは、自然の川の様子に近い雰囲気が出るように、上流から下流に向けて小石の大きさを少しずつ変えています。一見目立たない工夫ですが、その手入れの細やかさには驚かされます。またこうした枯流れの清掃などは、全国から相国寺本山に修行に来る雲水さんたちが行われることもあります。
文化財の指定/関連の文化財
裏方丈庭園は昭和60年(1985年)6月、京都市の名勝に指定されています。
相国寺には無学祖元墨蹟「与長楽寺一翁偈語」(国宝)など墨蹟、絵画、工芸品、茶道具等の寺宝が多数あり、境内にある承天閣美術館で見ることができます。
引用・参考文献・資料提供
【引用・参考文献】・都林泉名勝図会、1799
・我楽多籠、高橋義雄、1914、箒文社
・日本庭園史圖鑑 第十六巻、重森三玲、1938、有光社
・京都市の文化財第3集、京都市文化財保護課、1986
・京都・山城寺院神社大辞典、1997、平凡社
【取材協力および資料提供】
相国寺
長岡造園