蓮華寺庭園 れんげじ
庭の概要
所在地 | 京都市左京区上高野町八幡町 |
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電話 | 075-781-3494 |
作庭年代 | 江戸前期 |
作庭者 | |
様式 | 池泉式 |
寺社の創建年代 | |
文化財指定・登録状況 | |
敷地面積 | 約3,000㎡ |
公開状況 | 公開(有料) |
歴史・いわれ
蓮華寺は左京区上高野西明寺山の麓にある天台宗の寺院です。創建年代についてははっきりしませんが、もとは洛中に営まれていた時宗の寺で、応仁・文明の乱(1467~1477年)の乱以後荒廃していたものを、加賀藩の家老であった今枝近義が祖父・重直の菩提を弔うために現在地に再興しました。今枝重直は織田信長や豊臣秀次に仕え、勲功により豊臣の姓を許されるほどの人物でしたが、秀次の死後は前田利家に仕えた後、隠退して宗二居士と名乗り、茶の湯をたしなむなど、余生を風流人として過ごしました。
蓮華寺が現在地に再興されたのは寛文2年(1662年)ですが、境内には寛文6年(1666年)に今枝重直の功績を刻んだ石碑が建てられたこと、延宝9年(1681年)には池にその石碑が建てられていたことが記録に残っていることから、庭園も再興とほぼ同時に作られたものと考えられます。作庭者については、小堀遠州や石川丈山の名が挙げられていますが、このうち遠州はすでに没しており、作庭者である可能性はないものと思われます。また、石川丈山については、今枝氏と親交があり、蓮華寺と深い関係があったことから、作庭者の有力な候補として挙げられます。しかし、作庭に関与していたことを証明する史料は見つかっておらず、現時点では作庭者を特定することはできません。
※小堀遠州(1579~1647)……江戸時代初期、幕府の作事奉行となり、優れた庭園を残した。茶を古田織部に学び、将軍家茶道指南、のち遠州流茶道の開祖となる。書道、歌道、華道、陶芸、建築、造園に造詣深く、仙洞御所、二条城、南禅寺金地院などの庭を手がけた。
※石川丈山(1583~1672)……江戸初期の儒者、漢詩人。父信定は徳川家康に仕えてきた三河武士の一族で、父の死後、丈山も16歳から家康に仕えましたが、大坂夏の陣で手柄を立てたのを最後に退官。林羅山らと交わり、儒学を学び、漢詩人となりました。作庭家としても有名で、隠棲生活を送った詩仙堂(左京区)の庭園を自ら作ったほか、渉成園や一休寺の酬恩庵庭園(京田辺市)などが丈山の作といわれています。
庭園は、境内の仏殿と書院に面する形で作られた池泉式です。中心の大きな池に中島があり、石組の護岸が施され、石造品が周囲に据えられています。今枝重直の石碑は、古絵図をみると、当初は中島に据えられていましたが、江戸時代後期から明治期の間に、今の位置である中島の西側に移されたようです。そのほかの点では、地割などの大きな変化もなく、現在に至っています。
また、書院の北側にも小さな庭があって、岩盤が露出した山の崖に面して音を立てて小川が流れ、モミジやマツ、岩肌が険しい渓谷のような眺めを作っています。
庭園の中では、種々の石造品、特に独特の形状をした石灯篭が目を引きます。これらの石造品は、作庭当初から据えられていたものも多くあります。
こうして守られてきた庭園は、モミジを中心とした木立のなか、地面はコケに覆われ、豊かな水量に支えられた池の水は小川のせせらぎの音とともに澄みわたり、閑静な自然の情緒豊かな名園となっています。
見所・みどりの情報
池の周囲にはモミジが多く植えられており、特に秋の紅葉はコケの緑との対比が見事ですが、ほかにも春のシャクナゲや夏のサルスベリが要所に花を咲かせ、目を楽しませます。
蓮華寺の池や流れは、江戸時代の前期に京都代官であった五味藤九郎(ごみ・とうくろう)によって作られた、高野川から分岐した用水路の水を今に至るまで使っています。高度成長期の一時期はこの用水路の上流に汚水が流れ込むこともありましたが、現在は流域で注意が払われているそうです。水は蓮華寺を経由して再び用水路に戻され、無駄にしないよう工夫されています。
手入れのポイント
樹木やコケの手入れは、基本的に寺の方々の手で行われており、特に安井攸爾(ゆうじ)住職のなみなみならぬ熱意により維持されてきました。北山に面している自然の豊かな場所であることを重んじて、あまり造形的な庭とならぬよう、剪定などは「自然が7分、人手が3分」の気持ちで管理を心がけているそうです。また、蓮華寺の庭園は、眺めて鑑賞するためのgardenではなく、「自然の一部と同時に祈りの場の一部であり、喧騒や賑やかさとは無縁の庭と考えている」と話しています。こうした自然を重視した管理のためか、今でも多くの野鳥がやって来ます。時にはカワセミが池の魚を狙って、池岸にたたずんでいることもあるそうです。
文化財の指定/関連の文化財
仏殿には石川丈山筆の「蓮華寺」の横額、鐘楼には黄檗2世木庵禅師銘の銅鐘など、今枝氏と交流のあった文人たち縁(ゆかり)のものが多く残されています。
ご注意
中学生以下の修学旅行などの団体での見学は、お断りしています。
引用・参考文献・資料提供
【引用・参考文献】・舊都巡遊記稿、秋元春朝、1918
・日本庭園史圖鑑第8巻、重森三玲、1936、有光社
・京都美術大觀巻2庭園第4版、中野楚渓、1936、高山堂書店
・京都名園記上第2版、久恒秀治、1969、誠文堂新光社
・日本庭園史大系第17巻江戸初期の庭(4)、重森三玲・重森完途、1971、社会思想社
・日本庭園歴覧辞典、重森三玲、1974、東京堂出版
・京都・山城寺院神社大辞典、1997、平凡社
・中根金作京都名庭百選、1999、淡交社
【取材協力および資料提供】
蓮華寺