京の庭を訪ねて:庭園を通じて京都の「緑の文化」に触れてみませんか?

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鹿王院庭園  ろくおういん

庭の概要

所在地 京都市京都市右京区嵯峨北堀町
電話 075-861-1645
作庭年代 再建は江戸中期(本文参照)
作庭者
様式 平庭式(枯山水)
寺社の創建年代
文化財指定・登録状況 京都市指定名勝
敷地面積 約1,895㎡(文化財指定面積)
公開状況 公開(志納金)

歴史・いわれ

鹿王院庭園の画像 客殿から見た庭園。嵐山を背景に、舎利殿とモッコクの古木が見えます。
鹿王院庭園の画像 1941(昭和16)年ごろの舎利殿の庭。現在もほぼ変わらない風景が保たれていることがわかります(鹿王院の古葉書より=黒川翠山撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿王院は臨済宗の単立寺院です。康暦2年(1380年)に3代将軍足利義満が自身の長寿を願って建立した宝幢寺(ほうどうじ)の開山・春屋妙葩(しゅんおくみょうは)すなわち普明(ふみょう)国師の開山塔(塔所)として、宝幢寺と同時に創立されました。「鹿王院」の名は、建立の際、野鹿の群れが現れたことによると伝えられます。

 

宝幢寺は創建以来、京十刹の第5位に列せられるなど、都でも特に格式の高い禅宗寺院として繁栄しました。しかし、応仁・文明の乱(1467~1477年)による荒廃で焼失し、塔所であった鹿王院のみが再建されました。その後、鹿王院は復興され、9代将軍足利義尚(在職1473~1489)が鹿王院を訪れた際、復興された庭園を見ていたという記録が古文書に残されています。

 

庭園は、鹿王院の創建か、その後間もなく作られたと考えられます。「任庵主」という人が作庭者とも伝えられますが、どのような人物であったのかはよくわかっていません。鹿王院は、再建の後、慶長元年(1596年)の地震でも大きな被害を受け、多くの建物が倒壊するなどしましたが、庭園はあまり姿を変えず残っていたようで、訪れた人が再び庭園を見てその眺めに驚いたという記録が残されています。

 

江戸時代に入り、寛文年間(1661~1673)になると、鹿王院は本格的な復興が進み、寛文7年(1667年)年には客殿などの主要な建物が復興され、境内の整備もほぼ完了したと考えられます。それまで宝幢寺の塔所であった鹿王院は、正式に一つの寺院として寺領・塔頭を抱えることになりました。また、もとの宝幢寺の境内も含めての復興であることから、境内の様子は大きく変化したと考えられ、室町時代から残っていた庭園も全面的な改修を受け、新しく作り直されたと考えられます。

 

境内が今見るような姿に落ち着いたのは、宝暦13年(1763年)に舎利殿(駄都殿)が客殿の南側に建立されてからのことです。それまでは客殿から南側に眺める庭でしたが、客殿から廊下を伝って昭堂(しょうどう)・舎利殿からも眺めることのできる庭へと大きく改修されたと考えられ、これが今見る舎利殿の庭園です。舎利殿建立後の絵図を見ると、舎利殿の周囲に石が据えられ、樹木が植えられていた様子をうかがうことができます。

 

また、この絵図には、客殿前に沓脱石(くつぬぎいし)と思われる平石が描かれていることから、客殿などの建物から眺めるだけではなく、客殿から庭に降りて観賞することもあったようです。

 

※沓脱石(くつぬぎいし)……玄関や縁側(または濡れ縁)に上がる際に履物を脱ぐため、地面より一段高く据えた平らな石。茶室の躙(にじ)り口前のものは特に踏石(ふみいし)と呼びます。

 

明治時代になると、廃仏毀釈により寺領が大きく失われ、諸塔頭も廃寺になるなど経済的基盤を失い、客殿を売却するなど法灯を保つのに苦労した時期もありました。しかし、明治時代後半になると、客殿も再建され(明治23年・1890年)、また、昭和12年(1937年)年の開山・普明国師の550回忌に合わせて改めて境内が整備され、今に至っています。

 

この近現代の復興に合わせて、客殿の北側にも枯山水の庭園が作られました。この客殿北庭の作庭は、明治20年代頃に、住職峨山和尚によって行われました。その後、昭和11年(1936年)には、客殿北側の隠寮建立に合わせて、古美術研究家・中野楚渓設計、造園家・田中泰治施工による改修が行われました。現在は、小さな流れを中心に石灯籠や石組、飛石園路、モミジなどの植栽で構成されています。

見所・みどりの情報

鹿王院庭園の画像 山門から続く紅葉が美しい参道

舎利殿庭園は、築山を築いたり、池を掘ったりせずに、もともとの平らな地面を利用して作った平庭形式で、地形的な変化は少なく、閑静な雰囲気が醸し出されています。す。

 

舎利殿を中心に、立石や横石が据えられ、白砂敷の地面にはコケが一面に広がっています。石組の近くには樹形の整えられたモッコクやモチノキなど常緑の高木や刈り込みが配されています。初夏には沙羅双樹(ナツツバキ)の白い花が、秋にはモミジの紅葉が平庭一面のコケ敷の緑に映えます。また、このほか境内にはマキ、アカマツ、カゴノキなどの古木があります。

 

客殿側から眺めると、遠方の嵐山を背景に、舎利殿、昭堂などの伽藍の屋根とモッコクなどの樹形が重なって、非常に奥行き深い景観をつくっています。

 

竹林が美しい山門から続く石畳の参道には、タカオカエデ、ツバキなどが数多く植えられており、季節ごとに、竹林との対比を楽しむことができます。

手入れのポイント

庭園の樹木は専門の造園業者の手で剪定などが行われていますが、コケ敷の草取りや清掃や低木の剪定などを含めて、日常の手入れのほとんどは寺の方の手で行われ、美しく保たれています。

 

吹田宏海住職によると、モッコクに虫が付いたり、境内のマツが松食い虫(マツノザイセンチュウ)で枯れてしまったりと、樹木の手入れはかなりの手間がかかるほか、特に近年は気候の変化のためか、コケの生育が悪いなど、悩みはつきないとのことです。それでも様々な木々や草花を相手にしているのは、「四季それぞれの庭の眺めの中に仏の姿を見る」という気持ちからだそうです。吹田住職は「今後も心を尽くして手入れをしていきたい」と話しています。

文化財の指定/関連の文化財

鹿王院庭園は、昭和62年(1987年)、京都市の名勝に指定されました。

 

本尊釈迦如来は運慶の作と伝わります。また、「絹本着色夢窓国師像」2幅(国重要文化財)など多くの文化財を所蔵しています。

引用・参考文献・資料提供

【引用・参考文献】
・日本庭園史圖鑑第廿四巻、重森三玲、1936、有光社
・日本庭園史圖鑑第二十巻、重森三玲、1937、有光社
・普明國師と鹿王院、樋口実堂、1937
・京都市の文化財第5集、京都市文化財保護課、1988
・京都府古文書調査報告書第12集鹿王院文書目録、京都府教育委員会、1997
・京都・山城寺院神社大辞典、1997、平凡社
・中根金作京都名庭百選、1999、淡交社
・鹿王院文書の研究、鹿王院文書研究会、2000

【取材協力および資料提供】
鹿王院

周辺マップ

他サイト参考情報

見学のガイド

  京都観光Navi(鹿王院)

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