「京のみどり」情報:市民のみなさんとともに京都の緑を育てていく広報誌です。

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みどりのウォーキングマップ

かつての水郷地-淀周辺のみどりを歩く

妙教寺~淀城跡公園~稲葉神社~與杼(よど)神社~浜納屋(はまなや)

伏見区の南西に位置する淀。かつて桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となり、大阪平野へつながる水陸交通の要衝でした。平安時代には「与度津」を呼ばれ都の外港となり、戦国時代にかけては城が築かれ、城下町として発展しました。淀は各時代で重要な役割を果たし、歴史を刻みながら変遷を続けてきたのです。

近年は京都競馬場のある場所として、多くの人を集めてきましたが、1999年に着工した京阪電鉄本線淀駅の高架化と周辺整備をきっかけに、淀の特色を生かした新しい町づくりを目指した取り組みが進められています。淀水路を中心に河津桜を植樹する試みも、その一つです。歴史の面影が残る風景をたどりながら、奥深い淀の魅力に触れてみませんか。

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※淀の河津桜について

淀の河津桜の開花状況等については、当協会ではお答えいたしかねますので、ご了承ください。

歴史を如実に伝える

妙教寺

日孝上人(にっこうしょうにん)を開山とする法華宗真門流の寺。1626(寛永3)年に大坂の富豪商人、法華又左衛門尉貞清(ほっけまたざえもんのじょうさだきよ)が発願し、当時の淀城主松平定綱から寺地を寄進された。寺地は戦国時代、岩成友通が城をかまえ、秀吉が側室淀君を住まわせた淀古城の跡の一部にあたる。また本堂には鳥羽伏見の戦いの砲弾の跡が残り、幕軍戦死者のための記念碑が建つ。境内には、草花や樹木が多く植えられ、なかでも、多様な品種のツバキが釣鐘の周りを中心に植えられている。

●京都市伏見区納所北城堀49
☎075-631-2584/9:00〜16:00
(※本堂は事前の電話連絡で見学可能)

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草木の多い境内

淀地方における唯一の式内社

與杼神社(よどじんじゃ)

淀・納所・水垂・大下津の産土神。かつては水垂の「大荒木の森」(現在の宮前橋下流の桂川河川敷)にあって、淀姫大明神ともいわれていた。1900(明治33)年の桂川河川敷堤防の拡幅工事
により、淀城跡内に遷宮。1971年、本殿と拝殿が国の重要文化財に指定されたが、本殿は1975年焼失。1980年に再建された。1957年以来途絶えていた秋季大祭「淀祭」の神輿の巡行が2002年、45年ぶりに復活した。

●京都市伏見区淀本町167
☎075-631-2061/境内自由

淀神社.jpgのサムネール画像

2本のイチョウの大木としめ縄が鳥居のかわり。イチョウは2001年に区民の誇りの木に選定されている

春日局ゆかりの社

稲葉神社

淀藩稲葉家の祖である稲葉正成を祭神とする。正成の妻は、後に3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局。1723(享保8)年5代目の正知より、稲葉家が淀藩主になり、1871(明治4)年12代正邦の時に、廃藩置県を迎えるまで淀藩主であった。1885(明治18)年、本丸跡に稲葉神社が建立された。近くに稲荷大明神、住吉大明神、熊野大明神を祀る。

●京都市伏見区淀本町164/境内自由

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淀城の本丸跡に建つ

旧木津川の船運の面影を残す

浜納屋(はまなや)

かつて木津川沿いは、船運がにぎわい、浜(河岸)には納屋や蔵が多く立ち並んだ。穀物を貯蔵する俵物納屋である浜納屋はその一つ。木津川に面した東側には、運ばれてきた荷物を船から直接積み降ろすために使われた石段が残る。浜納屋や蔵は淀川流域に数多くみられたが、現存するはこの一軒のみ。浜納屋を所有するのは、創業1855(安政2)年から続く木田醤油株式会社で、昔ながらの醤油作りを守り続ける。

●木田醤油株式会社/京都市伏見区淀美豆町144
☎075-631-2033/10:00〜17:00(※事前に連絡をすれば見学可能)

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淀川の水運が盛んだったころの様子を伝える石段

★道案内★

新「淀駅」から2つの淀城跡へ

京阪本線淀駅で降りて高架をくぐりましょう。淀駅は2011年に高架化し、駅周辺の工事が進んでいます(以降、地図参照)。淀はかつて桂川、宇治川、木津川の合流地点で、水が停滞してよどむことから「よど」となったといわれています。
 淀の川は水運が盛んで、年貢などを納める納所(なっしょ)があったことから「納所(のうそ)」という地名が残っています。五番橋を渡ると妙教寺へ着きます。秀吉の側室・淀君が住んだ淀城(淀古城)跡の一角であり、また鳥羽・伏見の戦いの激戦の跡が残っています。
 桂川沿いから旧京阪国道沿いを歩きましょう。江戸時代この辺りは宇治川の流路でした。朝鮮通信使が上陸した船着場の跡「唐人雁木(とうじんがんぎ)旧趾」や、桂川と宇治川の合流付近に二つあったという水車の跡「淀川瀬水車趾」の石碑が、往時の面影を知る手がかりです。
 淀城跡公園に入ると、クスノキやヒマラヤスギなど大木が多く、淀藩主・稲葉家を祭神とする稲葉神社、明治に遷宮した與杼(よど)神社、そして江戸時代に築城された淀城の石垣と堀の一部がひっそりと佇(たたず)んでいます。

河津(かわづ)桜の名所から旧木津川沿いへ

再び高架をくぐり、住宅街を抜けて新町緑道と呼ばれる石張りの道を歩きましょう。以前はごみが多く暗い道でしたが、淀緑地公園愛護協力会新町会の美化活動と植樹により、季節の移ろいを感じる美しい緑道に生まれ変わりました。コブシやモミジ、河津桜が道行く人を楽しませています。河津桜は近年、淀水路沿いに植樹され、一帯は桜の名所となっています
 淀水路から階段を上り孫橋を渡ります。この先には、1868(慶応4)年まで木津川が北流し、淀大橋がかかっていました。今も、その名残をとどめる町並みや浜納屋と呼ばれる蔵が見られます。
 堤防を上がると宇治川沿いに気持ちの良い道が続いています。河川敷は広く、眺めは抜群。左手からは、淀水路沿いの道も見えます。
 京都競馬場の手前で、堤防を降りて細い道を抜けると京阪本線淀駅に着きます。駅周辺の整備の完成は2013年度。新しい町づくりが進む淀の町は、そのころ、どのように変わっているのでしょう。

※淀の河津桜について

淀の河津桜の開花状況等については、当協会ではお答えいたしかねますので、ご了承ください。

*この記事は2011年12月発行の「京のみどり61号」から内容を掲載しています。

★市民活動の紹介~もっと知りたいみどりのこと~★

淀周辺地域の将来を考える会

地域の風土と歴史を生かした町づくりを

現在、本丸・天守跡の石垣と内堀の一部が残る淀城跡は、江戸時代、徳川秀忠の命により松平定綱によって築城された城で、1871(明治4)年、廃藩置県に伴って、廃城となりました。
 京都市によって発掘調査と石垣の修理が行なわれ、1968年に近隣公園「淀城跡公園」として整備され、地域の人々の憩いの場として親しまれています。
 その後、周辺環境が変化する中、1999年、京阪本線の高架化、淀駅の移転、駅前広場の整備の実施が決まり、周辺地域の町づくりは大きな転換期を迎えました。
 淀駅周辺地域は時代の変化を受けながら淀城跡を中心に歴史的・文化的資源を残してきました。その伝統・文化・環境の継承と発展を目指した町づくりを進め、地域の活性化につなげることを目的に、與杼神社宮司奥村 博さんを会長に、住民有志、また歴史や環境の専門知識を持つ人々が集まり、「淀駅周辺地域の将来を考える会」が2009年に発足しました。
 淀城堀を中心に、地域の水環境を改善することを目指す水部会や、歴史的資源に着目する歴史部会など各部会に分かれ、調査や研究が続けられています。また、事業部会は会が蓄積してきた多様な地域資源の情報を生かし、淀周辺の魅力を発信しようと、イベントやホームページ制作などを企画しています。
 「地域の方にも訪れる方にも、淀の魅力を伝えていきたいです。近い将来、淀城跡にはサクラを増やして、堀では放生会(※)を行うのが夢です」と奥村会長。淀駅周辺の整備の完了予定は2013年度。新しい淀の町づくりへの機運が高まっています。

※捕えた生物を放して逃がし、殺生を戒める行事。考える会.jpg

*この記事は2011年12月発行の「京のみどり61号」から内容を掲載しています。

冊子は協会事務所(東山区円山町463)でお配りしています。

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